魚住 荊石 うおすみ かいせき
|
稼圃江大来の水墨蘭石之画。 筆精にして墨妙たり。本邦来船中、四大家之冠と称される。 其の訦雄は古逸し、樸を経て、人眉睫の間なり。 宜しく珍蔵すべし 之れ永世の宝なり。 |
寛政11年(1799)生〜明治13年(1880)歿 制作年 明治11年(1878) 80歳 |
荊石は寛政11年(1799)、新潟県栃尾市泉の生まれ、名を毅、字を葭浦と称したが、初めの頃は聴山、鴎波、南窓ともいい、荊石は晩年の字。幼少から画を好み、17歳で江戸に出て、当時画壇の第一人者であった谷文晁の門に入る。荊石はもっぱら南画の研究をして高久藹崖と共に南画界の双璧といわれました。 彼はのちに江戸を出て日本各地を遊歴し、一段と技量を高め、最後には大阪に住み魚住氏を嗣ぎ、魚住荊石を名乗り、大阪の富豪鴻池のお抱え画家となった。 大阪では京都の画人中西耕石と交わり、中国の明、清の時代の名画を研究して一家をなし、山水画を得意とした。彼の作品は、精細な筆致で緊密、清雅で気品が高く、霜鬢雪髯の風貌と天衣無縫な作風から「浪華の荊石」として珍重、推称された。 「荊石山人毅」の下に、白文の「魚住毅」の落款印が押されている。 推奨サイト http://www.city.tochio.niigata.jp/bunka/bijyutukan/sy-uozumi.html http://www.city.tochio.niigata.jp/bunka/bunkazai/sansuiga.html |